コートジボワールの女性の生活を助けたココヴィコ市場
2014年11月4日
オイコクレジットの融資によってコートジボワールの大勢の女性商人の生活が向上しましたが、それだけでなく、この国の社会、経済も大きく発展しました。
コートジボワール、アビジャンのココヴィコ市場で色々な果物や野菜を売るZian Lou Bonan さん
1980年代、コートジボワール最大の都市アビジャンでは、多くの女性が道端で野菜を売って生計をたてていました。空き家になった建物と建物の間や、整備されていない空き地などに多く見られた露店は、当局によって再三にわたり撤去すると脅されたため、女性たちは安心して商売をすることができませんでした。更に政治危機によって国中に根深い不安が広がり、事態は悪くなる一方でした。
1999年のクーデターが起こる少し前、何人かの女性がオイコクレジットのオフィスを訪れ相談をもちかけました。彼女たちは7人で、果物や野菜を売る女性たちの協同組合のココヴィコを立ち上げていました。その目的は市場という安心して働ける場所を作ることでした。しかしそのためには資本金が必要でした。
融資のパイオニア、オイコクレジット
ココヴィコ代表 Madam Bottiさん とMariam Dao さん(右)
オイコクレジットを初めて訪れた女性たちの話を聞いてすぐに、職員は、市場を作れば彼女たちの生活を良くするだけでなく、社会にとっても大きな意味を持つだろうと考えました。西アフリカ地域代表のMariam Dao さんは、「このプロジェクトにオイコクレジットと共同で融資してくれる投資家を探しましたが、見つかりませんでした。銀行はどこもこんな思い切ったことには乗り気でありません」と振り返ります。200人近くいるココヴィコのメンバーのほとんどが読み書きできないという問題に加え、市場を作るには多額の費用が必要でした。
政治危機下のオイコクレジット
1999年のクーデターに続いて内戦が起こり、オイコクレジットもココヴィコ協同組合も活動が困難になりました。危険で不安定な社会状況でしたが、オイコクレジットは融資を行うことを決め、2004年にココヴィコに最初の貸付金を支払いました。オイコクレジットが雇った専門家が市場建設の監督となり、2008年についに市場が開業しました。
男女合わせて2000人の商人
市場はアビジャン中心地のココディ地区にあり、果物や野菜、魚や肉を売り買いする活気ある中心街へと発展しました。商品の種類は化粧品から布地、家庭用品など何でもあり、今ではこの市場が2000人もの商人にとって、安全で清潔な仕事場となっています。
内戦中の取り組み
コートジボワールでは、近年2010年12月から2011年4月にかけて、選挙がらみの紛争で3000人もの命が犠牲になりました。その間もオイコクレジットは女性たちを援助し続けました。首都で唯一、ココヴィコ市場だけが、この厳しい状況の中でも商品を売り続けていたのです。市場は600人の女性や子どもにとっての安全な避難場所ともなりました。現在では市場にお店を出す商人も増えて、再び活気を取り戻しています。この成功をもたらした大きな要因は、ココヴィコの女性たちが意欲を失わずに働き続けたこと、そして常に支援があり、返済条件が柔軟であったことがあります。「誰かを支援しようと思うなら、彼らに先んじて行動するようなことは意味がありません」とMariam さんは言います。まさに政治危機で混乱したコートジボワールにも当てはまることです。「植民地時代は終わりました。これからは私達自身の生き方を探さなければなりません。私達自身を見つけなければならないのです」。彼女たちがそれをどうやって実現していくのか。ココヴィコはまさにその一例なのです。
(翻訳協力: 東京YWCA 国際語学ボランティアズILV、呉みどり)